ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルは橋で居住区が分離されている!

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルは橋で居住区が分離されている!

 

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルという街では、今でも過去の民族紛争の面影を見ることができる。ボスニア・ヘルツェゴビナは民族紛争解決後の1992年に独立した比較的新しい国である。

ボスニア・ヘルツェゴビナといえば、首都サラエボで起きた第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件、サラエボオリンピックなどが有名だが、今回は居住区がスターリ・モスト橋によって分離されたモスタルという街を紹介していきます。

サラエボについてはこちらにまとめていますので、合わせて読んでみてください。モスタルと同じく興味深いですよ。

第一次世界大戦とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の面影が残るサラエボ

過去に民族紛争を抱えていた様々な国や地域に行きましたが、モスタルほど面影がしっかり残っている街を見たことがありません。それでは、過去にモスタルで何が起こったのか見ていきましょう。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルで起こった民族紛争

パレスチナ紛争やコソボ紛争に比べるとボスニア・ヘルツェゴビナの紛争はもっと複雑です。ではまず最初に、モスタルの民族別人口比率を見てみましょう。見てわかるように、日本とは違い民族が入り乱れてることが分かります。

  1. ボシュニャク人・ムスリム系 – 43,930人 (34.9%)
  2. クロアチア人 – 42,648人 (33.8%)
  3. セルビア人 – 23,909人 (19.0%)
  4. ユーゴスラビア人 – 12,654人 (10.0%)
  5. その他 – 2,925人 (2.3%)

 

元々、ボスニア・ヘルツェゴビナには南スラブ人という民族が住んでいました。15世紀になると、オスマン帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを支配したため、南スラブ人はイスラム教に改宗しました。このイスラム教徒がボシュニャク人と呼ばれる人たちです。

次にオーストリア・ハンガリー帝国の支配下になったボスニア・ヘルツェゴビナは、カトリックの総本山となりました。そこで、イスラム教徒のボシュニャク人とカトリック教徒のクロアチア人が同じ場所に住むことになります。

民族紛争の原因はここからです。ボスニア・ヘルツェゴビナのあるバルカン半島は、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と称されるほど国と民族が複雑に絡み合っていましたが、これを一つにまとめて統治する人が現れました。チトーという人がユーゴスラビアという国家の枠組みを作ったのです。

複雑なユーゴスラビアの成り立ちはこの本が非常に分かりやすい。とてもじゃないが一つの記事でまとめられるほど単純ではないのだ。

 

国家の枠組みを作ったチトーはセルビアに本拠地を置きました。しかしチトーが死去した後に、民族同士がお互いに憎み合いユーゴスラビア紛争に発展しました。カトリック教徒のクロアチア人、イスラム教徒のボシュニャク人、ユーゴスラビアを統治していたセルビア人の三者が争うことになります。

また、ボスニア・ヘルツェゴビナの隣国であるセルビアとコソボの紛争についての詳細はこちらにまとめてあります。隣国の紛争が複雑に絡み合っているので、ここを抑えて置くと理解が深まります。

コソボ紛争とNATOのセルビア空爆について分かりやすく解説します!

セルビアからコソボへ移動中に、セルビア人に投石された件について

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モルタルの街中では紛争の面影を見ることができます。

モルタルの街中では紛争の面影を見ることができます。

 

民族の居住地を分離するスターリ・モスト橋

スターリ・モスト橋は、オスマン帝国が支配していた時代に作られたものです。当時はスターリ・モスト橋を隔てて、西側にカトリック教徒のクロアチア人、東側にイスラム教徒のボシュニャク人が住んでいて平和に共存していました。

しかし、チトーが死去した後に起きたユーゴスラビア紛争で、スターリ・モスト橋が爆破されてしまいました。今まではこの橋があったからこそ、平和に共存できていたのに紛争が置きたおかげで、街がメチャクチャになってしまいました。

ユーゴスラビア紛争によってボスニア・ヘルツェゴビナ内でセルビア人が大量虐殺にあいました。

下記の本は、アメリカの広告会社がボスニア・ヘルツェゴビナと契約を交わし、セルビアを世界の悪としてプロパガンダ報道するまでを描いた本です。こちらの本もユーゴスラビア紛争を語る上でかかせません。

 

セルビア人の割合が低くなったので、カトリック教徒のクロアチア人とイスラム教徒のボシュニャク人の二つの民族が主にモスタルに住むことになります。これでユーゴスラビア以前の状態に戻りました。

ユーゴスラビア紛争後、両民族の努力によって平和の象徴であるスターリ・モスト橋が再建されました。もう、このスターリ・モスト橋が二度と爆破されないように祈るばかりです。

スターリ・モスト橋。西側にカトリック教徒のクロアチア人、東側にイスラム教徒のボシュニャク人が住んでます。

スターリ・モスト橋。西側にカトリック教徒のクロアチア人、東側にイスラム教徒のボシュニャク人が住んでます。

 

モスタル紛争が起きた1993年を忘れないで

簡単にモスタルで起こった民族紛争をまとめてみました。一度は壊されたスターリ・モスト橋ですが、両者の想いによって再建され、今では平和にお互いが共存しています。

以前に紹介したドブロブニクからバスで4時間で行ける場所にあるので、観光名所であるドブロブニクを楽しんだ後に、歴史の面影を見にモスタルに行ってみてはいかがでしょうか。

魔女の宅急便・紅の豚の舞台!クロアチアのドブロブニクは絶景!

紛争が起きた「93年を忘れないで」と刻まれたモニュメント

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バルカン半島&ユーゴスラビアを旅行するならこれを読め!全11カ国まとめ

 







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