杉原千畝が命のビザを発給したリトアニア!首都には記念碑がある!

杉原千畝が命のビザを発給したリトアニア!首都には記念碑がある!

 

第二次世界大戦中にナチスドイツに迫害されたユダヤ人に対して、杉原千畝(すぎはらちうね)は訓令に反してビザを発給し続けた。ビザは6,000人に発給され、その全ての人の命が守られた。

このことから杉原千畝が発給したビザのことは「命のビザ」と呼ばれている。そんな命のビザを発給した舞台は、バルト三国の一番下に位置するリトアニアという国だ。

リトアニアの首都ヴィリニュスへ行き、杉原千畝の記念碑がある杉原桜公園へ行ってきた。日本から遠く離れたヴィリニュスというあまり有名ではない首都で、日本に触れられるなんて中々感慨もひとしおだった。

ざっくりと杉原千畝が発給した命のビザについて触れたが、ここからはもう少し掘り下げていこう。最後にヴィリニュスにある杉原桜公園について紹介する。

ガイドブックには載っていない杉原桜公園ではあるが、日本人として観光して欲しい場所なので、これからヴィリニュスへ行く予定のある方は本記事を参考に観光してきて欲しい。

 

杉原千畝が発給した命のビザの背景

第二次世界大戦ではナチスドイツがユダヤ人を迫害していて、アウシュビッツを代表する強制収容所へと収容してガス室で一気に惨殺していた。最終的にこのホロコーストによって惨殺されたユダヤ人は600万人とも言われている。

ナチスドイツのアウシュビッツ強制収容所へ観光・旅行するあなたへ
ポーランドのクラクフにあるアウシュビッツ強制収容所。ここは第二次世界大戦中にナチスドイツのアドルフ・ヒトラーの意向で、ユダヤ人を迫害するために建設された強制収容所だ。 今回はアウシュビッツ強制収容所を観光してきたので、観光するにあたっての知識と時代背景をここで紹介する。

ホロコーストから逃れるためにユダヤ人たちは難民となって、ドイツから離れることになる。しかし、逃れるための行き先が中々難しい。

アメリカへ行くには、ドイツが追撃してくる西ヨーロッパを通る必要があったので不可能だった。バルカン半島を通りトルコに逃げるのも不可能だった、なぜならトルコ政府がビザの発給を拒否したからだ。

完全にヨーロッパから避難するには、シベリアを経由して日本へ行き、そこから第三国へ避難するという経路しかなかったのだ。そこで必要だったのが、日本へ行っても良いよというビザだ。

そして、命のビザ発給の舞台となるリトアニアのカウナス日本領事館へ話を移そう。

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リトアニアのカウナス日本領事館にて命のビザが発給された

日本のビザが欲しくて、リトアニアのカウナス日本領事館へ集まったユダヤ人たち。しかしここで問題が起きる。

日本を経由して第三国へ避難したいユダヤ人たち、この中に日本の通過ビザを得ておきながら日本にとどまる人たちが多いのではないか、と日本政府は考えたのだ。そして外務省の回答はビザの発給は許せないというものだった。

それでも杉原千畝は諦めずに外務省との交渉を粘ったが、政府が首肯することはなかった。また、政府からリトアニアからの退去命令も出ていたのだ。

しかし、杉原千畝は独断でユダヤ人たちに対してビザの発給を決断したのだ。ビザを発給することによって、自分に危険が及ぶ可能性があったにもかかわらず、杉原千畝は命のビザ発給の決断を下したのだ。

杉原千畝と同じようにドイツにもユダヤ人を救った英雄がいる、その名前は実業家のオスカー・シンドラーだ。彼が経営する工場で1,200人のユダヤ人を雇い、強制収容所送りから救ったのだ。

このことから杉原千畝は「日本のシンドラー」「東洋のシンドラー」と呼ばれることがある。

もっと杉原千畝について知りたいという人は下記の本を読むか、反町隆史と飯島直子が出演しているドラマを見るのが理解しやすい。日本の誇りとも言うべき人なのに、あまり日本では知名度が低いので、これを機会に学んでみて欲しい。

 
 

首都ヴィリニュスにある、杉原千畝の記念碑がある杉原桜公園

ここまで読んでいただいた皆さんは、杉原千畝が何を行った人物なのか理解できただろう。

杉原千畝が命のビザを発給したのは、リトアニアのカウナスという都市にある日本領事館だが、リトアニアの首都ヴィリニュスに杉原千畝の記念碑がある。ヴィリニュスの中心を流れるネリス川沿いにそれはある。

杉原千畝は、早稲田大学在学中に外務省の試験に合格した。ヴィリニュスにある杉原千畝の記念碑は、早稲田大学によって作られたのだ。また、杉原桜公園の桜は杉原千畝の生誕100周年を記念して植えられた。天皇陛下もここを訪れたことがある。

それでは写真と共に紹介していこう。

 

ヴィリニュスの中心を流れるネリス川

ヴィリニュスの中心を流れるネリス川

 

こちらが杉原桜公演

こちらが杉原桜公演

 

異国の地で見る桜は一味違う

異国の地で見る桜は一味違う

 

これが杉原千畝の記念碑

これが杉原千畝の記念碑

 

実際の命のビザ

実際の命のビザ

 

早稲田大学からのメッセージ

早稲田大学からのメッセージ

 

2001年に早稲田大学によって建立された

2001年に早稲田大学によって建立された

 

前述したが日本が誇る人にもかかわらず、世界史では習わないので知名度はかなり低いと思う。

本記事をきっかけに杉原千畝が発給した命のビザを知ってもらい、リトアニアへ行く機会がある人がいたら是非、杉原桜公園の記念碑を観光してもらいたい。異国の地で日本を感じられる瞬間は不思議で面白い。

余談だがナチスドイツ崩壊後の、東西分裂を象徴するベルリンの壁についても記事を書いているので合わせて読んでみよう。時系列に見ることが理解が深まる事間違いなしだ。

 

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