マチュピチュの謎に迫る!未だ解決されていない3つの謎!?
マチュピチュといえばペルーの標高2430mという山奥にある、インカ帝国の空中都市だ。1年中世界中から観光客が訪れているが、そんな観光名所となっているマチュピチュには昔からたくさんの謎が多く存在する。そしてその殆の謎は解決に至っていない。
だからこそ、マチュピチュは新・世界七不思議に選ばれていて、その影響もあって観光客は増え続けているのだ。
多くの謎がある中で、有名な謎を3つに絞って解説してみた。15世紀に繁栄したインカ帝国は一体どういう想いでマチュピチュを構想し、どのような驚くべき技術でマチュピチュを建造したのか、その謎に迫ってみよう。
そして、実際に私は実際に現地へ向かい3つの謎を目の当たりにしてきた。その所感や謎についての考察なども紹介していく。
【マチュピチュの謎①】マチュピチュが建造された理由・歴史が解明されていない!
絶壁に建造された空中都市マチュピチュは、1911年7月24日にアメリカ人の冒険家ハイラム・ビンガムによって発見された。発見された当初話題になったのが、マチュピチュを建造するために必要な運搬器具や文字などが存在しなかったことだ。
しかし、このマチュピチュの建造の仕方については近年解明されている。マチュピチュ付近には大きな石が散乱していて、この石はマチュピチュ内にある「石切り場」で切りだされたものだと判明したので、建造する際はこの大きな石を小さく砕いて運搬していたのだ。
建造の仕方は解明されたが、マチュピチュには大きな謎が残されている。それが、マチュピチュが建造された理由・歴史が解明されていないという謎だ。
そもそもマチュピチュは、現地のケチュア語で「Machu Picchu(高い峰)」という意味を指す。なぜ、マチュピチュが標高2,430mもの絶壁に建造されたのか、その理由が謎のままなのだ。
インカ帝国を滅ぼしたスペイン人に見つからないようにするため、太陽を神とするのでより標高が高い場所に建造する必要があった、インカ大国王宮の離宮、などなど諸説あるがこの「インカの失われた都市」が建造された理由は未だ解明されていない。
【マチュピチュの謎②】水路の水源がどこにあるか分からないまま!
標高2,430mにある空中都市マチュピチュには驚くことに水路がある。しかし、その水路の水源がどこにあるのか分からないという謎だ。マチュピチュの3つの謎の中でも、一番ロマンチックな謎とも言えようか。
人間が暮らしていくには水が必要不可欠なので、空中都市であっても水を確保するための水路を建造する必要があります。しかし、標高2,430mまで水を吸い上げるのは、当時の技術では不可能に近いです。
それなら、雨期の時期に水を溜め込んだり、霧をうまく活用して水源に活用できないか、と考えるのが普通ではありますが未だに水源が確認されていません。水源を確認するにはマチュピチュを一度崩壊させて、水路を辿る以外に選択肢はないようです。
水源は見つかってないものの、マチュピチュは西に太平洋があってアンデス山脈の中に存在しているので、毎朝のように深い霧が発生して、11月〜3月は雨期なので水を貯める環境は整っているそうです。
当時のインカ帝国の人たちは、この水の恩恵を受けるようにマチュピチュを建造したのでしょうか、それであれば電子機器のない15世紀にしてはかなりの高技術を保有していたことになります。
【マチュピチュの謎③】人間が消えたインカの失われた都市!
マチュピチュは「失われた都市」と形容されることがあります。これはそのままの意味で、マチュピチュは広大な敷地面積があるのに1911年7月24日にハイラム・ビンガムによって発見された時は誰一人いなかったそう。
マチュピチュは最盛期には1万人前後の人口がいたと推測されているが、発見された当時誰も人がいなかったのだ。マチュピチュがスペイン人からの侵略に逃れて建造されたという仮説であれば、スペイン人に見つかって皆殺しにされたと考えることはできるだろう。
しかし、マチュピチュは破壊された形跡はなく、水も水路を伝って流れ続けているのだ。
マチュピチュの3つの謎に迫るためへ現地へ!
早速、ペルーの山奥にあるマチュピチュへ行ってきた。マチュピチュへは、バスを乗り換えて山奥を走る鉄道に乗らなければ行くことができない。発見された当時はヘリコプターからでしか確認できず、実際に行くには密林過ぎて進むことができなかったと言う話には、納得できるほど山奥にある。
私は鉄道を使わずにバスで近くまで向かい、徒歩でマチュピチュを目指したが、マチュピチュに近づいても山間に隠れるように建造されているために確認することができなかった。
インカ帝国を滅亡させたスペイン人から逃れるため、という理由でマチュピチュをこのような山奥に建造したのではないかと私も思った。しかし、インカの宗教は太陽を神としているので、より神に近づくためにこのような標高に建造したとも言える。なので、マチュピチュが建造された背景には複合的な理由があるのだろう。
水路に関しては実際に目の当たりにして見て本当に驚いた。標高2430mという高さに水路があるなんて15世紀当時の技術でできることなのだろうかと思ったが、実際にマチュピチュ建造をする際に綿密に調べたのだろう。あまりの高い技術にオーパーツを信じたくなるほどだ。
マチュピチュから人が消えた理由は、単純に衣食住の食の部分が調達できなくなったか、風土病が流行ったか、それともスペイン人に見つかったかのどれかだろう。インカ帝国は文字を持たなかったので、当時の人たちがどういったコミュニケーションの手法を取っていたのかは気になるところだ。
謎は謎のまま残しておくのがいいかも知れない、これらは全て仮説だからこそロマンスがあるのだから。その他の謎については下記の本にまとめられているので、興味がある人は読んでみよう。
最後にマチュピチュの写真をお届けします。
マチュピチュ村は日本そっくり!?なんと初代村長は日本人だった!
ナスカの地上絵の謎に迫る!描かれたその3つの理由とは!?
南米・南アメリカを旅行するならこれを読め!
チャンネル登録、宜しくお願いしますー!
関連記事
-
マチュピチュ村は日本そっくり!?なんと初代村長は日本人だった!
マチュピチュの麓にあるマチュピチュ村、なんとその初代村長が日本人だった事実をご存知だろうか。マチュピ
-
ナスカの地上絵の謎に迫る!描かれたその3つの理由とは!?
ナスカの地上絵で未だ解決されていない、地上絵が描かれたその理由と謎に迫ります。「ナスカの地上絵(Na