ナスカの地上絵の謎に迫る!描かれたその3つの理由とは!?
ナスカの地上絵で未だ解決されていない、地上絵が描かれたその理由と謎に迫ります。「ナスカの地上絵(Nazca Lines)」は、ペルーの首都リマから南東に位置するナスカという都市にあります。ナスカとは都市の名前なのです。
1994年12月17日にUNESCOの世界遺産に登録されたナスカの地上絵は、ハチドリ 、コンドル 、サギ 、巨人 、クモ 、ペリカン 、犬、手、 サル、宇宙人などの動物や植物の絵が数十キロに渡って描かれた地上絵です。
ナスカの地上絵は、地上絵の付近で見つかった陶器や木材などを分析することにより、紀元前200年から紀元後800年に描かれたものと推測されています。しかし、ロングアイランド大学の考古学者Paul Kosok(ポール・コソック)によって発見されたのは1939年です。
描かれてから1,000年以上もの間、誰の目にも触れられず、ひっそりとナスカの地上絵は存在していたのです。なぜ、1,000年以上もナスカの地上絵は風化せずに残っていたのかというと、ナスカは砂漠気候なので数年雨が降らないことも多く、植物や動物が生存することが難しいために、誰も踏み入ることのなかった土地だったからです。
簡単にナスカの地上絵の概要を説明してみました。それでは、なぜナスカの地上絵は描かれたのでしょうか。その理由は実は謎のままで、「地下水路説」「宇宙船発着場説」、「農暦説」、「公共事業説」、「雨乞いの儀式説」、「宇宙との交信説」、「死者の葬儀埋葬説」、など様々な見解はありますが、未だに謎のまま残っています。
そこで今回はナスカの地上絵が描かれた、有力な3つの理由について紹介していきましょう。実際にナスカの地上絵を見に行ってきたので、その模様を写真と共にお届けしていきます。
【ナスカの地上絵の謎①】雨乞いの儀式説!
前述したようにナスカは砂漠気候のために数年間雨が全く降りません。降ったとしても微量なために、動物や植物、もちろん人間も生きていけないような過酷な環境にあるのです。
ペルーにはナスカと同じように、砂漠気候で雨が全く降らない地域があります。それらの地域では、雨乞いの儀式を行った形跡があり、そこで暮らす人々からすると雨は貴重な資源だったのです。
そう考えると、ナスカ付近に住んでいる人たちが雨乞いのためにナスカの地上絵を描いたという可能性は捨て切れません。ナスカの地上絵には大きなクモが描かれていますが、クモはその時代に雨を象徴するものとして捉えられていたので、雨乞いの儀式説が一見有力そうに見えます。
しかし、クモ以外にもたくさんの動物や植物などの絵が描かれています。雨乞いの儀式を行うためであったら、クモだけを描けばいいはずなのです。謎は深まるばかりです。
【ナスカの地上絵の謎②】宇宙人への交信説!
この宇宙人への交信説は、ナスカの地上絵が描かれた理由として聞いたことがあるでしょう。數十キロにも渡る地上絵を描く理由は、天から見ている人たちに何か交信を送りたいという説が、一番考えやすいでしょう。
この宇宙人への交信説は、夢がありロマンチックではありますが、あまり深い根拠がないため納得するのは難しいでしょう。しかし、ナスカの地上絵の一つに「宇宙人」が描かれたものがあります。これを見てみるとなんだかワクワクしますね。
まだまだ、ナスカの地上絵がどう言った理由で描かれたのか謎が深まるばかりです。
【ナスカの地上絵の謎③】死者の葬儀埋葬説!
この死者の葬儀埋葬説がナスカの地上絵が描かれた理由として、最も有力視されています。その理由は、ナスカ文明には死者は太陽に帰るという定説があるからです。
ナスカの人たちはどうにかして死者を太陽に送るために、気球を開発したとされています。しかも紀元前という時代に気球を開発した根拠が多く残っています。
ナスカにあるお墓の中には、きめ細かい布が一緒に埋葬されていて、この布が気球に使われていたとされているのです。気球に使われた根拠とは、ナスカの地上絵の付近で何かを燃やした後が多数見つかっていて、その燃やされたものがお墓に一緒に埋葬されていた布だったのです。
そこで、ジム・ウッドマンという人物が当時の布を想定して気球を作り、実際に飛ばしています。なので、当時の人たちが気球を作り死者を太陽に送り届けていたことを否定することはできません。それでは、死者を太陽に帰すこととナスカの地上絵にはどう言った関係性があるのでしょう。
それは、ナスカの地上絵は太陽に帰る前の死者たちへメッセージを送り、無事に死者を太陽に送り届けようとしたという意味が有力視されています。
ナスカの地上絵が描かれた理由は今まで謎のままでしたが、近年ではこの死者の葬儀埋葬説が最も有力だと言われています。だとしたら、当時のナスカ文明の技術はとんでもないですね。
ナスカの地上絵の描き方とは!?
それでは、このような巨大なナスカの地上絵はどうやって描かれたのでしょうか。最も有力な説は「原画拡大法」です。原画拡大法とは、まずは原型となる絵を地上に描きます。この原画となる絵を元に更に大きなを絵を描いた行きます。
原画の支点に杭を打ち、拡大したい大きさに紐を直接上に伸ばしまた杭を打ちます。この方法を活用することで、原画と同じ絵をそのまま拡大することができるのです。
この原画拡大法を活用して実際に大きな絵を描くことに成功しており、この仮説は実証されております。しかし、絵が大きくなればなるほど紐を真っ直ぐ直線に伸ばさないといけないため、200mを超える絵になると精密度観点で難易度が増します。
ナスカの地上絵の謎に迫る!セスナ機に乗って見てきました!
ナスカの地上絵が描かれた謎ということで、雨乞いの儀式、宇宙人への交信、死者の葬儀埋葬の3つの説を挙げてみました。一番有力なのは最後の死者の葬儀埋葬ではありますが、当時の人たちが本当に気球を使っていたのかは、当時の人たちに聞かないと真実を聞くことはできません。
そんな謎が深いナスカの地上絵に実際に行ってきました。セスナ機に乗って上空からナスカの地上絵を見下ろして、色々な絵を絵を見てきました。予想以上に地上絵は大きく、上空からでもはっきり確認することができます。
それではロマンスと謎を感じながら、ナスカの地上絵を実際に見てきた様子をご覧いただきましょう。
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