パラグアイに移住した日本人、日系パラグアイ人とは!?
南米の中央に位置するパラグアイ、この国に日系パラグアイ人が5千人以上も住んでいることをご存知だろうか。日本とパラグアイの歴史は意外と深く、パラグアイでは日本に対する評価がかなり高い。
そんなパラグアイの首都アスンシオンや、日系パラグアイ人が多く住むイグアス居住区へ行ってきた。そこで今回は、あまり日本では有名でないパラグアイの基礎情報と、パラグアイに移住した日本人の歴史について深く解説していきたい。
本記事をきっかけにパラグアイという国に興味を持ち、パラグアイへ移住した日本人が今どんな想いで生活しているのかを考えて欲しい。
パラグアイの基礎情報!
パラグアイは南米の中心に位置していて、ブラジル、ボリビア、アルゼンチンに接した内陸国である。人口は600万人ほどで首都はアスンシオンという名前だ。パラグアイの国土の殆どが豊かな自然なので、性格は温和で明るい人が多い。
GDPは世界の中でも99位で、天候に左右されやすい農業がメインなので、季節によっては国全体が貧困に陥ってしまうこともある。ちなみに、日本人移住者が持ち込んだ大豆の生産量は世界第6位を誇る。
日本でもお馴染みのマテ茶はパラグアイの名産品で、パラグアイ人はみな自分の水筒にマテ茶の葉っぱを入れて持ち歩いている。マテ茶は意外にも栄養が満点なので、「飲むサラダ」と呼ばれることもある。なので、南米にしては平均寿命が少し長い。
ユネスコの世界遺産には、「ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナ」と「ヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道所群」がある。
パラグアイの国旗は表と裏が違う!?
パラグアイの国旗に入った赤・白・青の線はフランスのトリコロールを真似たもので、赤色は正義、白色は平和、青色は自由という意味が込められている。特徴的なのは国旗の表と裏が違うデザインだということ。
表の中心には星を真ん中にスペイン語でパラグアイ共和国と書いた国章のマークが入っていて、裏には右向きのライオンを中心にスペイン語で平和と正義と書かれている。
表と裏の模様の違いを覚えておくと、パラグアイの国旗を見た時にどっちが表だかわかるので面白い。
パラグアイに移住した日本人、日系パラグアイ人とは!?
それでは、パラグアイと日本にどう言った歴史があるのか見ていきましょう。
日本人が初めてパラグアイに移住し始めたのは1937年です。この頃は、出稼ぎ労働者としてアメリカやブラジルへ移住する日本人が多くいました。日本にいるよりも発展した国で働いた方が、多くの収入が貰え豪華な生活ができると考えたからです。
しかし、異国で日本人ばかりが集まると日本人を排斥する流れができて、排日移民法によってアメリカに行けなくなり、移民二分制限法と呼ばれる移住者が2%を超えてはならないという法律によりブラジルへ行くのも難しくなりました。
出稼ぎをする国がなくなったところに手を出したのがパラグアイです。1937年にパラグアイに日本人が移住して以来、今では日系パラグアイ人が5000人以上も住んでいます。この日本人移住者たちがパラグアイの発展に貢献したのです。
前述しましたが、パラグアイの大豆の生産量を世界第6位にまで伸ばしたのは日本人移住者のおかげです。日本で培った農業方法や、パラグアイ全体に広がる玄武岩が風化した赤土をうまく活用する方法を見つけ、改善することで発展に大きく貢献しました。
なので、パラグアイの日本に対する評価は高く、今現在では8万5000人の日本人移住者を受け入れる体制も整っています。日本人移住者が多く集まるイグアス居住区では学校や生協、神社や鳥居まで日本の文化が揃っています。
日系人の歴史をもっと知りたい方は本書を読んでみましょう。実際に移住した方が本書を書いていて、日系人の歴史を分かりやすく紐解いています。
それでは実際にイグアス居住区へ行って、日本人移住者の歴史センターや、現地の様子を写真に収めてきたので、最後に写真と共にパラグアイの日本人移住区の様子をお届けしましょう。
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